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【虎のソナタ】あのときもミスターの葛藤が (2/2ページ)

2008.10.15 05:01
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 この日、大阪のホテルで阪神の坂井信也オーナーは南信男球団社長と岡田彰布監督を呼び、あらためて『慰留』を試みている。もちろん“翻意”するハズもないことを坂井さんは百も承知ではある。取材に走ったトラ番キャップ野下俊晴は「なにしろホテルは出口がいっぱいあって、しかも秘密の“逃げ道”まであるからマークするのに必死でしたョ」とは本音である。電鉄は基本的に「鉄のレールの上を鉄の車を走らせている会社」だからこういう問題はキチンと手順を踏んでいき、正式に決まってからしか情報開示をしないのだ。

 あの初代ミスター・タイガース藤村富美男が阪神のユニホームを脱ぐという記者会見が行われた1957(昭和32)年11月25日にオギャアと生まれた岡田彰布。以後ことごとく「タイガースとの赤い糸」に結ばれていた彼は93年のオフに自由契約になった。このとき彼は唇を噛んでこういった。「オレはこれからもずっと阪神ファンであり続けるんや…」。

 佐藤義清という北面の武士が「西行」として流浪の旅に出る“覚悟”と、岡田彰布がタイガースに決別する“炎”とはどこかに共通するものがある。

 「あの時、そういえばミスター(長嶋茂雄)も狂おしいほどの葛藤を秘めていたもんなぁ…」と運動部長伊藤英慈はシンミリといった。彼がG番キャップの98年8月末…まだ真夏の頃に突然巨人軍監督長嶋茂雄の「辞意」騒動が巻き起こった。伊藤はちょうど一粒種の長男・大賀が8月21日に生まれたばかり。ところが長嶋問題のてんやわんやに巻き込まれて連日ヒーヒーいって走り回っていた。詳しい説明は割愛するが、後任に元西武監督森祇晶氏(当時解説者)が決定的といわれ、各紙は一斉に「森監督へ!」と書いた。そのとき伊藤は『長嶋続投』と書いて内心ヒヤヒヤしていたら、その日に巨人の球団事務所で「長嶋続投会見」があった。誰もが胃がネジ切れるような経験をする。そして巡り巡って大阪本社に転勤となり、ニュースには鬼のようにうるさい越後屋局長植村徹也の下でシゴかれて…運動部長席に座ったとたんに「またかよ…」という“監督騒動”である。

 保延6(1140)年の今日10月15日に「出家」をした西行はこう詠んだ。

 わりなしや 氷る筧の水ゆゑに 思ひ捨ててし 春の待たるる…。



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