今は故人となったが仰木彬(元オリックス監督)という人は不思議な人物だった。西鉄時代は中西、豊田ら野武士集団の中で影が薄かった。しかし、中西太さんはいつもこういって嘆いていた。
「ネオン街にワーッと繰り出す。散々飲んで勘定を払うのはオレだ。フトみると店のカワイコちゃんと腕を組んでいたのは仰木彬よのゥ…」
女にモテた。しかし…仰木さんはなぜか“人のキラッと光る部分”を見つけるのも早かった。一例をあげると1994年に彼はオリックスの監督になるのだが、その前年の93年のオフ。ハワイの教育リーグに参加していた若手選手を見にでかけた。仰木彬は無口である。サングラス越しに黙って選手を見ている。その中で彼は「オッ」と目をみはった。カマキリみたいな選手が右中間の絶対の長打の打球をいとも簡単にグラブに納めた。そして宿舎での夕食。若手は遠慮して仰木さんを遠巻きにしていたが、昼間のカマキリ選手は人なつっこい笑顔でとなりにドンと座って…新監督にいろんな質問をしてきた。
カマキリは94年、新監督によって登録名をイチローに変えた。一軍で210安打を記録した。
なぜこんな話を長々と書いたか? といえば、この日、阪神球団事務所では若い選手7人が契約更改。2勝した石川俊介投手だけがアップで、桜井広大、狩野恵輔、庄田隆弘、筒井和也、桟原将司、坂克彦の6選手は軒並みダウンだ。もっとも彼らは年俸も低いから一足早く13ゲーム差逆転“恐慌”の余波で正月のモチ代を削られてしまった? 取材した編集委員上田雅昭は「まさかリーゼントおじさんのFA資金のための厳しい査定というわけではないのですが、この若い連中から真弓監督は虎のイチローみたいなのを発掘して欲しい。また彼らも新監督にアピールしなくちゃ…」という。つまり来春のキャンプからおもむろに逸材を発掘というのではない。真弓監督はもう先の安芸でめぼしはつけているハズである。
それにしても寒い。この日は駐車場担当(要するに甲子園室内の駐車場近辺を張り込む)の山田結軌がカチンコチンで「少しなめて薄着で来たのが失敗でした。もう氷りつきそう」という。そこに関本選手が登場した。山田はサッと接近したら目下「断食トレ」の真っ最中の関本さん。「オレに何も聞くなよ。オレはしゃべる力も無いんだから…あっ、何も言うなっていってるだろう…シーッ。アワワッ」と腹が減っている割にはよく声が出ていたそうである。山田は「関本さんは見た目そんなにスリムになったとは見えなかったなぁ…」。
その頃、横浜は港の見える丘あたりで寒さにふるえていたのがリーゼント担当!? 高瀬悟嗣だ。どうやら三浦投手はこの日は雲隠れ!? それで高瀬はかねて用意のマフラーをして、あちこち“ついさっきまでいたハズで…♪港のヨーコ、横浜ぁぁ…”と訪ね歩いてほとんど風邪をひきそうになったのである。
契約更改もいよいよ…FAとドラフトで威勢のいい一方で“寒さ”が身にしむ季節でもあります。